蓮ノ空という、素晴らしく、危なっかしいコンテンツ

2023年は、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブというラブライブ!の新シリーズに注目した1年でした。

蓮ノ空はキャストが声だけでなく3Dキャラクターのモーション担当を兼ねて配信を行い、そのパーソナルな趣味や経験の積み重ねがメンバーの言葉としても語られるという、Vtuberの要素を持つコンテンツです。一方で本作は、物語が現実時間の流れと同期する活動記録として紡がれている途中であり、現在高校1〜2年生であるメンバーたちの卒業まで、そして卒業後の展開も気になるところです。さらに、キャストは顔出しで生ライブや配信を行っており、そういった意味では従来のラブライブ!シリーズを継承している部分があります。

これは本当に画期的で、これまでのラブライブ!シリーズの特徴であったパフォーマンスをシンクロさせる、という部分を「自分の動きがメンバーの動きなんだから当たり前でしょ」とばかりに(表情や身長差などの調整はあれど)軽々とクリアしつつ、配信で時事的な話題やハリーポッターポケモン等の他コンテンツの名前を出すことで、メンバーとファンの時間的、世界的な距離感を縮めることもでき、キャスト自身の魅力もこれまでのシリーズ同様に伝えることに成功しています。

 

しかし、この仕組みでプロジェクトを進める、という決断は、かなりの覚悟が必要だったのではないかと思います。それは、キャストの体調不良や怪我が物語にダイレクトに影響してしまうという点。ライブでの既存音源差し替えや、過去のモーションデータとの合成など、できることはあれど、動き始めた物語時間を止めることはできません。収録時期の調整ができる範囲が狭く、ライブに欠席することになれば物語との整合性に影響し、ましてやタイミングをみてキャストを交代する、なんてことは、ここまでキャストとメンバーが密接な関係にある以上、ほぼ不可能です。そのビジネスへの影響は、いち声優・アーティストの範囲にとどまりません。

昨年発生したいくつかのトラブルについては、タイミング的にギリギリで調整できましたが、そういった事態が常に発生するリスクを運営もキャストも理解していないはずがなく、その上で2年ないし3年の間、これをやり遂げると腹をくくる覚悟をしていることがすごい、と心から思います。

 

ただ、それを手離しで喜んで、頑張れと応援するのが正しいのかという、漠然とした想いは常にあります。世の中は属人化しているものを極力減らし、誰でも無理なく休めるようにしていこう、という考えにシフトしてきていますし、エンタメ領域であっても、人気のある人や責任のある人なら無理してでも働くべきだ、という考えは正当化されるものではないでしょう。

今の蓮ノ空のやり方にどれだけ魅力があり、キャストの皆さんの作品への想いがあったとしても、周りへの影響を考えて我慢しろ、無理を通せ、という考えに繋がってしまうとどうなるかは、昨年エンタメ業界で起きた(まだ前に向けて動き出せていない)大きな事件が示しています。

 

私は当初、蓮ノ空がバーチャルスクールアイドルというコンセプトで展開されると知ったときに想像したのは、初音ミクのような、バーチャルアイドルのライブをリアルな会場で行う形でした。それにより、今までのラブライブ!シリーズで感じていたキャストへの負担が少しでも軽減されるといいな、と思っていたのです。

 

私は今の蓮ノ空が好きですし、キャストの皆さんも運営に携わる方々も強い想いと、愛情と、努力があるからこそ、素晴らしいコンテンツとして続いていると思っています。

そのうえで、どうか優先順位は間違えないでほしいという当たり前のことを、あえて言っておきたくなるのでした。